ふわもこメモ

健康に関するライフハックをご紹介

メンタル不調は連鎖する

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都内のPR会社に勤務する男性(S)の仕事量が急激に増えたのは、1年ほど前の連休明けから少したったころだった。
連日続く深夜までの残業。結婚したばかりだった妻からは、「私たち新婚だよね?」と寂しそうに言われた。申し訳ない思いはあったものの、社内全体が忙しさで覆われていて、自分の業務量が多いとはとても口に出せなかった。「きっかけは、同僚の1人が出社しなくなったことでした」

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1週間ほどの連休明け、そのまま出社しない社員がいた。翌日も、その翌日も出社せず、電話もつながらない。休暇中は海外旅行に行くと話していたので、旅先で事故に遭ったのではとみんなで心配した。結局、会社がイヤになって「飛んだ(無断で退職した)」だけだとわかったが、業務は同僚たちで引き継がなければならない。ちょうど、無断退職した彼が所属するプロジェクトではクライアント企業の新製品発表会が目前に迫っていた。
多数の報道陣やバイヤーを集めて行われる発表会の準備は多忙を極める。特に、そのクライアントは要求レベルが高いことで有名だった。メンバーそれぞれが自分の仕事を抱えるなかで、彼の担当分の業務が加わった。しかも、彼の担当業務がどこまで進んでいてどんな状況なのかは誰も把握していなかった。「業務の進捗状況を確認しなおすところから始めなければなりませんでした。同じプロジェクトのメンバーは、それこそ寝る間もありませんでした」

終わりなきトンネル

男性は、出社しなくなった社員と同じプロジェクトで働いていたわけではない。しかし、そのPR会社ではそれぞれの社員が同時並行で複数のプロジェクトに参加するため、1人メンバーが抜けるとプロジェクトのほかのメンバーが忙しくなり、そのメンバーが担当する別のプロジェクトにも遅れが出る。社員が「飛んで」から1カ月もたった頃には、玉突き的に社内全体がオーバーワーク状態に陥った。以来、1年近くたった今も男性の業務量は高止まりしている。「会社は人を採用しようとはしていますが、業界全体が人手不足でうまくいっていません。たまに入社する人がいても指導に時間を割かれ、そうしているうちに別の社員が限界を迎えてやめていく。終わりのないトンネルにいるような感覚です」このままでは、いずれ自分も限界を迎えてしまう。転職サイトを開くのが日課になった。転職エージェントにも登録し、毎日のように届くメールをチェックする。いい求人さえあれば、すぐにでも転職するつもりだ。4月から新生活が始まり、張り切ってスタートダッシュしたものの連休明けにはやる気がなくなる「5月病」はこれまでも多く聞かれた。だが、いまはそれだけにとどまらない。冒頭の例のように余裕のない職場が広がる中、1人の5月病の穴を埋めるために周囲の人までオーバーワークに陥り、メンタル不調に陥ることがある。5月病に影響を受けた「6月病」が広がりつつあるのだ。「いま欠員をすぐに補充できる会社はまれです。さらに、各企業には独自の慣習や仕事の進め方があります。仮に経験者を採用できても、ある程度自信を持って判断できるようになるには3カ月から半年程度かかります。その間は既存社員に負荷がかかる。人手不足で指導もままならず、その状況から抜け出せなくなる企業が多いのです」

10連休明けに退職相談

職場をむしばむ負の連鎖。今年は、特に6月が危険な理由がある。過去に例のない10連休だ。「長期の連休明けは不調を訴え出社できなくなる人が多い時期です。休みと仕事の切り替えができない人はもちろん、休み中に冷静に考えて自分の働き方はおかしいと感じる人もいる。逆に、休めなかった人も他人と比べてやる気を失いやすいんです」
連休明けに出社できなくなった人の影響が徐々に職場じゅうへ広がり、6月に顕在化しかねないというのだ。日本能率協会総合研究所の昨年の調査によると、連休明けの5月、20歳以上の男女の約7割が頭痛や倦怠感など何らかの不調を感じていた。そして、そのうちの7割近く、全体で見ても約半数は6月になっても2週間以上の不調が続いたという。不調が続いた割合が多い順に、30代男性、0代女性、10代女性だ[った1ページグラフ。
10連休が明け、今年は例年以上に不調者・退職者が続出している。本人に代わって職場に退職を申し出てくれる「退職代行サービス」にも、連日多くの問い合わせがある。「弁護士による円満退職代行」を掲げてサービスを提供するフォーゲル綜合法律事務所には、「連休明けに退職したい」という依頼が殺到した。「連休が明ける5月7日の朝に会社に電話してほしいという依頼が20件以上ありました。相談だけならその3倍は来ていた。月別でみても、5月は23日の段階ですでに過去最多です」
連休明けに退職代行を依頼すると聞くと、「長い休みで遊びほうけた新人が安直に逃げ出した」と感じるかもしれないが、高原弁護士の印象は違う。「10連休中にじっくり考え、ようやく決心できた人が多かったようです。普段は忙しすぎて退職を考えることすらできなかった方が、少し時間ができて、やっと冷静に考えられたんだと思います。新入社員からベテランまで、幅広く依頼がありました」

負荷はいつまでか

4月に派遣の医療事務として地方の病院に就職した女性(2)は、連休明けに代行を依頼して退職した。別の退職者の補充としての採用で、当初は1カ月かけて引き継ぎをする予定だったが、前任者は彼女が働き始めて2週間で退職してしまったという。本格的に引き継ぎを受けられなくなり、ほかに業務を教えてくれる人もいない。しかし、責任だけがのしかかった。
お金を扱う部署でミスができないというプレッシャーに加え、同僚の看護師らからもきつく当たられた。わずか1カ月で動悸、不眠、めまいを訴えるようになり、連休中にフォーゲル綜合法律事務所に依頼したのだ。高原弁護士は言う。「うつやパニック障害などに陥って労災案件となる一歩手前のようなケースも多い。逃げ道がなく、追い詰められている人が少なくないと思います」
この例は、職場の余裕のなさが女性にのしかかったケースだが、このままだと彼女の後任者もまた不調を訴えかねない。連休明けに不調者や退職者が出た職場で、彼らの分の業務をカバーするためにほかの人にしわ寄せがくる「6月病」危機が起きている例だ。「特に問題なのは、その負荷がいつまで続くのかを社員に明示しない企業が多いことです」-都内のある出版社では、「終わりの見えない忙しさ」からドミノ倒し的に退職者が相次いでいる。2年ほど前まで同社内の月刊誌編集部で働いていた男性は振り返る。「当時は、編集長と編集者3人、アシスタントのアルバイト1人で月刊誌を回していました。200ページ近い雑誌を毎月つくる人数としてはギリギリでした」

不調を言い出せない

ギリギリの態勢なのにさらに過酷さは増す。編集者の一人が退職し、仕事量は激増した。会社の幹部は「いずれ人を採用する」と言うが、いつなのかは示されない。そのうちもう一人の編集者も「これでは続けられない」と退職してしまい、編集者は1人になった。明らかに異様な状況に、男性は悲鳴を上げた。「打ち合わせ先からの帰り道、路上で涙が止まらなくなったこともありました。その状況からいつ抜け出せるのかもわからない。耐え続けるのは無理でした」
そうして男性は退職したが、その編集部では今も似たような状況が繰り返されている。
同じように業務が多忙になったとしても、それがいつまで続くのかわかる場合とそうではない場合ではかかる心理的なストレスが大きく違うという。この出版社の場合でも、1人が退職した時点で「○月までに新たな社員を採用する」「○カ月の研修が終わったら、これくらいのスキルを持った人を現場に入れる」などといったフォローがあれば、ドミノ倒しが起こるリスクは多少軽減されたのではないかという。余裕のない職場環境は、不調のドミノ倒しを引き起こすだけではない。会話はすべてメールという職場が増え、同僚とゆっくり話す暇もない状況のなか、かつては5月に不調を訴えられていたケースでも、なかなか言い出せず、慢性的にため込んだストレスが6月病として噴き出すケースもあるという。「最近はリモートワークも増え、上司が常に近くにいる環境ではない企業が増えています。1人で完結する仕事も多くなり、職場内のコミュニケーションが希薄になってなかなか相談できないと感じる人もいる。すぐに対処していれば重症化しなかったのにと感じることも多いです」昨春、別業界からIT企業に転職した30代前半の男性は、研修が終わって現場に配属されたあたりから体調が優れなくなった。1カ月の研修を乗り切り、5月に現場へ入ったが、最初に命じられた作業で行き詰まった。

丸2カ月以上祝日なし

現場では先輩が付きっきりで教えてくれるということはなく、簡単な説明だけ受けて後は自分で、というスタイルだった。周りはそれぞれ忙しそうに働いており、質問もできない。「あいつはプライドが高くて聞いてこない」
と言われるようになった。仕事の進め方もわからず、悩みを相談する先もなく、慢性的な胃痛の症状が続いて6月にカウンセリングを受診したという。このカウンセラーは言う。「自分より若い社員が活躍するなか、一人で悩んでしまったようです。会社に連絡して、上司と話す時間を取ってもらいました。会社側は「そんなに悩んでいたとは」という反応でした」
6月は梅雨に入り、季節的にも鬱々としやすい。低気圧の影響で体調を崩す人も多い。大型連休後、7月第3月曜日の海の日まで、丸2カ月以上祝日がないという1年で最長の「祝日空白期間」でもある。6月病の危機はどの職場にも迫っている。
連休明けの不調が連鎖的に受延する、職場のコミュニケーション不足で不調の顕在化が遅れる......。そんな理由で、今年特にリスクの高い「6月病」について、「職場内での負の連鎖によって表れる6月病は、多くの場合、適応障害だと思います」_5月病、6月病ともに、医学的に言えば「適応障害」に当たることが多いという。適応障害よりもさらに深刻な「うつ病」にまで至っているケースはまれだった。
しかし、近年は、より深刻でうつ病を発症しているようなケースも散見されるようになったという。「適応障害としての6月病だけでは、新人以外で6月に調子を崩す人について説明できません。加えて、私が6月に診る患者さんの症状の多くが、適応障害ではなくうつ病を示すことに気づいたとき、6月病には「入社、昇進など4月の環境変化をきっかけに2カ月以上の時を経て、適応障害ではなくうつ病として発症するもの』が多いのではと考えるようになったんです」
そもそも、適応障害とうつ病はどう違うのか。適応障害はストレスの原因を取り除きさえすれば比較的治りやすいが、うつ病は原因とみられるものを取り除いても簡単には治らない、などの特性がある=4~5ページの図。さらに注目すべきは発症までにかかる時間だ。

我慢と完璧主義はダメ

適応障害は、社会生活のストレスに対し3カ月以内に反応し、急性に発症するのが特徴だ。一方でうつ病は、数カ月以上にわたるストレスの後に徐々に発症するのが一般的。「例えば職場で強いストレスを感じるような大きなプロジェクトがあったとして、まだ本格的に始まっていない段階で早々に発症してしまうのが、適応障害。大変さも一山越えてホッとした頃に発症するのがうつ病です」
これらを踏まえ、4月の環境変化にすぐに反応して適応障害として表面化したのが5月病、4、5月を何とか乗り切ろうとしているうちにストレスが慢性化し、うつ病となって6月頃発症するのが6月病とも言える。「深刻なうつ病ともなる6月病を引き起こしてしまう要因は、「我慢」だという。「うつ病になるのは、ある程度「我慢できる方」です。まじめで、完璧主義で、責任感が強いタイプ。5月の連休明けの段階ですぐに、「私はここでもう会社に行く気にはなれません』と手を挙げられる適応障害の人もいれば、連休明けに体調が悪くても『自分は休むわけにいかない」と我慢するうちにうつ病になってしまう人もいる、ということです」
うつ病としての6月病になるリスクがとくに高いのは、中間管理職だという。責任ある立場にもなってしまっていて、きついから辞めよう、転職しようと思っても、年齢的にも若い社員より難しい。「そこで『我慢する』ということが起きる。6月病の一歩手前である5月の不調の段階でしっかり休養を取り、ストレスを解放できればいいのですが、我慢してストレスを放置すると6月頃に心の糸が切れてしまう。中には適応障害である5月病が、6月にうつ病へと進行するケースもあり、注意が必要です」(同)他にも中堅社員ならではの、ストレスが長引くことによる6月病がある。「昇進うつ」だ。4月に昇進するも、まじめで完璧主義の人は特に、部下たちにも自分と同じクオリティーの仕事を求めてしまいがち。「最終的に全部自分でやるしかなくなり、消耗していく。そのうち集中力がなくなり、6月頃にうつ病を発症してしまうパターンも多いです」(同)

「過適応」でNO言えず

中堅層や管理職が持つうつ病のリスクを指摘する。「適応障害というのは、文字通り『適応できない人』ということです。やはり若い人、社会人1年生、2年生が多いと思います。適応力の低い「未熟な人」がかかりやすい。一方で、ある程度経験のある中間管理職の人たちは『過適応」、つまり逆に適応しすぎてしまっていることで、周囲からも認められ、その結果さまざまなことを頼まれ、板挟み状況もあって簡単にNOとも言えず、倒れてしまう。そんな状況の人に、うつ病は多いですね」
では、5月病や6月病などメンタル不調に陥らないためには、何に注意すればいいのか。まずは予兆を早い段階で、的確にとらえることが重要になってくる。
職場と日常生活における不調のサインが右の表だ。
ストレスの器がいっぱいになっている人は要注意だという。そういう人は、特に必要がないのに仕事が心配で、早朝や休日に出勤したり、遅くまで会社にいたりする傾向があるという。思い当たるところがあるという人は、気をつけたほうがいい。「ほかにも、体に出る変化も予兆として大事です。目眩、吐き気、動悸、肩こりなどが表れますが、内科的治療では改善しません。その場合はうつ病などを疑い、精神科の専門医にかかるべきです」
多くの人が抱く「月曜の不調」について、克服するコツがあると言う。「月曜日は、月曜病、サザエさん症候群という言葉もあるくらい、誰しも気が重いものです。ただ、『土日に気分転換』という考えがそもそも間違い。日曜日を一日中楽しく遊んだら、ギャップで月曜の朝がつらいのは当然です」

日曜日は仕事モードに

患者に対してよくアドバイスするのは、「土曜日はぱっと遊んで、日曜日はもう、仕事モードにしよう」ということだ。日曜日には、これから1週間の段取りを考える、自分に足りない部分の勉強をするなど仕事モードにしたほうがいいという。ますますうつになりそうと思うなかれ。そのほうが日曜日と月曜日のギャップが少なくなり、1週間がスムーズに進み、長期的に見てもうまくいくという。
「日曜日は仕事の前の日、と割り切ったほうが、かえってラクなんです」「6月病」は正式な医療用語ではないが、この言葉が広く周知されることには、医療の専門家としても大きな意味を感じる、「適応障害である5月病の場合は、比較的抵抗なくすぐに精神科を受診する人が多いのですが、うつ病の方は食欲低下などの身体的症状があることから、まず内科を受診する人が多く、精神科の専門医受診に行き着くまでに時間がかかるケースが多い。おそらく受診は7月頃にまでずれこんでいるのでは。6月病という言葉を意識することで、6月の段階でうつ病の予兆に注意を払うことができれば」

一人の医師で継続治療

  • 自身や周囲の人の予兆に気づいたら、早めの受診が鉄則。ただ病院選びにも注意が必要だ。「医師が複数いたとしても、自分の主治医がしっかりと決まる病院にしてほしい。一人の医師に継続的に診てもらうことが大事です。また、その病院のホームページから医師の人柄や、どういう考えで治療しているかがよく見えることも重要。そして、何でも聞いてくれる医師じゃないとダメ。『それは関係ないからいいよ』など話を遮るような医師はよくない。初診のときに「ああ、ちゃんと話を聞いてもらえたな』と思えるか。その最初の印象は大事ですね」

病院のホームページなどで医師の経歴をチェックする際には、着目してほしい点があるという「どこかの病院の精神科なり心療内科で、きちんと何年間か経験を積んでいるかどうかを確認することは、絶対に大事です。また、会社に産業医がいれば、地域の医師の情報を聞くのもいい。会社の健康管理室にいる保健師さんも情報を持っている。結局、そういう口コミがいちばん、信憑性が高いんです」「早め早めの対策で、「6月病リスク」を乗り切りたい。

実は年中「○月病」のオンパレードチョコがもらえない!もスギ花粉もストレスに

メンタルを崩すのは、5月と6月だけではない。実は世の中には「○月病」はすべての月に存在するようで。
まずは「1月病」。のんびり過ごした正月休みが終わり、仕事や学校が始まってもやる気が出ないことを示す。主な症状は生あくび。「2月病」は、バレンタインデーでチョコがもらえるあてのない人、当日もらえなかった人が、孤立感などの精神的ストレスを味わうことで発症。筆者も過去に数十回、発症経験あり。
続いて「3月病」。飛散し始めたスギ花粉のことを考えるとブルーになる症状。「4月病」は、新年度が始まり、「今年こそ」という意識が過度に高まる軽い躁状態や、逆に新環境に馴染んでいる人を見て「なぜ自分はできない」と落ち込むうつ状態も。「7月病」は、長引く梅雨で憂鬱な気分になること。病名はともかく、症状については医学的根拠もあるそう。「うつ病の人たちも雨の日にはすごく弱い。体の一部である脳の病気だからこそ、雨の日の気圧の影響などは受けます」「8月病」は、8月の暑さにやられ、何をするにもやる気が出ない。ま、夏バテでいいかと。「9月病」は、お盆や夏休みが終わり、新学期が始まることで気分が落ち込む状態。残暑が厳しく、身体的にもつらい。「10月病」は、だんだん日照時間が少なくなり寒くなることで、なんとなく憂鬱で、だるい状態。「冬季うつ」と呼ばれることも多い。「冬季うつはれっきとした脳の病気=うつ病。要注意です」(同)「1月病」は、秋の寒さが深まり、憂鬱な気分に。11月は楽しいイベントが何もないという理由で発症することも。真打ち「2月病」は、恋人のいない人が、クリスマスイブが近づくにつれて味わう孤立感などで苦しむ症状。乗り切ったとしても、そのまま同種の2月病を発症するケースも。そのツラさ、よーくわかる。と、名づければ年中つらいことのオンパレードなんです。トホホ...。都内に住む会社員女性(3)は気分が落ち込んだとき、村上春樹作品に手を伸ばす。「お気に入りは「ノルウェイの森』と『羊をめぐる冒険』です。明るくハッピーな気分になるわけでもないし、励まされるのとも違う。鬱々とした人ばかり出てくるけれど、なぜかそれが心地いいんです」
難解な物語、鬱々とした精神状態、親しい人の死や別れ......。春樹作品の持つイメージは、「癒やし」とは対極にある。それなのに、「春樹を読むと癒やされる」と感じる人は多い。「春樹作品の読書会をやると十人十色の感想が出てきますが、癒やされた、と話す人は多い。頻出ワードですね」

祭りの後の精神状態

なぜなのだろう。春樹作品の持つ癒やしの力をこう分析する。「落ち込んでいるときに春樹作品を読むと心地よく感じるのは、彼の作品の多くがポスト・フェスティウム、を美しく表現しているからです」人間の精神状態を「アンテ・フェスティウム(祭りの前)」「イントラ・フェスティウム(祭りの最中)」「ポスト・フェスティウム(祭りの後)」の三つに分類した。うつ状態のような気分の落ち込みは、このうちの「ポスト・フェスティウム」にあたるという。「祭りの後のような精神状態、つまり、青春時代など自分の輝かしい時代が終わってしまったと感じるのがこれです。特に初期の春樹作品は、このポスト・フェスティウム的な精神状態が叙情的に書き込まれている。気分が落ち込んでいるとき、自分の心の状態に近い物語や文章にホッとするんです」その筆頭に挙げる作品が、短編「午後の最後の芝生」(「中国行きのスロウ・ボート』所収)だ。主人公の「僕」は芝刈りのアルバイトで訪れた女性の家で、女性の娘らしき少女の部屋を見る。そこに少女はいないが、ノートや辞書、化粧品、クローゼットの洋服から彼女の存在を色濃く感じる。「彼女の母親が「どんな子だと思う?』と問い、僕、は服や持ち物を見て、いなくなった少女の気配を感じる。作中で彼女がどうなったのかに言及はありませんが、じんわりとした喪失感が広がります。読者が抱いている寂しさに近く、共感を覚えます」(同)
春樹作品に癒やされる理由に「共感」を挙げる。「多くの作品に共通するのは、普通の孤独な僕。が、能動的ではなく仕方なしにどこかへ行って、戻ってくるという構図です。僕は強くもなく、特殊な能力を持っているわけでもない。そこに読者は自己投影できるのです」
海外のファンも含めて「春樹は自分の心情を代弁してくれている」と話す人が多いという。「強いラスボスを倒して平和を取り戻すような壮大な物語も楽しいですが、そこに共感はありません。いたって普通で孤独な僕、に共感し、僕、を通して孤独感が解消されるんだと思います」おすすめは『羊をめぐる冒険』だ。「落ち込んでいるときの心情にも通ずる“喪失の痛みと、緩やかな回復を味わえる典型的な物語です。主人公はやむを得ず冒険に出て、あらゆるものを失いながら最後は答えらしきものを見つけますが、外の世界の巨大な壁と対峙しているわけではありません。閉じた世界のなかで完結している文学なんです。弱い主人公に自分を投影すると、一人じゃないんだと勇気づけられます」(同)
落ち込んでいる人に「元気になれ」と言うのは逆効果だと、聞いたことがあるかもしれない。弱さにとことん寄り添うと、励ますよりむしろ、落ち込んだ気分を改善させることにつながる。「春樹作品の登場人物の多くは、なんとなく鬱々としています。具体的に乗り越えなければいけない壁に悩んでいるというより、生活は回っていて生きてはいけるが、世の中への違和感がぬぐえない。その人物に共感し、「それでいいんだ』と思うことで、自分を許し、肯定できるようになるんです」泣いてもいいんだ
実際に、「許し」や「肯定」は癒やしの現場では重要なキーワードだという。自殺予防のホットラインで電話相談員を務める30代の女性はこう説明する。「つらくて悩んで電話してくる方のなかには「もっと頑張らなくちゃ』という焦りにかられている方が多くいます。マニュアルはありませんが、そんなときは悩んでいる方の現状を認めてあげることが第一歩。現状を許容するところから、次に向かうエネルギーを取り戻せるんだと思います。余計なアドバイスよりも、今の自分でいいんだという肯定感が大切です」
この肯定感をくれる作品として、短編「タイランド」(「神の子どもたちはみな踊る』所収)を薦める。「主人公の女性が旅先で、自分の傷に向き合ってそれを受け入れていく物語。喪失を認めていなかった人が傷ついていることに気づき、泣いてもいいんだと肯定できるようになる。このままでいいのか悩んでいる人には、最高の癒やしになるでしょう」ただ、春樹作品では共感する対象が最後に救われるとは限らない。例えば『ノルウェイの森』では、主人公「僕」と恋人関係になる直子が精神の疾患で療養所に入り、最後は自殺してしまう。「僕」に共感していたにしろ、直子に共感していたにしろ、そこに救いはないのでは?「文学作品の登場人物に共感し、癒やされるメカニズムは、精神医学の曝露療法、に通じるものがあります」

自分の悩みも一緒に

精神医学ではトラウマなどの治療には、自身の抱えるつらい体験にあえて近づくことが有効だとされる。それが曝露療法だ。自分の体験を話したり、演じたりし、トラウマに近づくことで、不安感を消していくのだ。「登場人物が、自分が抱えているようなつらい体験をさらに純化して追体験している。現実ではない世界で流れていくつらさに共感することで、自分の感情が客体化され、受け入れられるのです。最後は登場人物が破滅するとしても、自分の悩みも一緒に持って行ってくれたと感じます」(同)・ポスト・フェスティウム、共感、肯定感、そして経験の客体化。なんとなく感じていた「春樹を読むと癒やされる」は本当だった。「春樹作品は、非常によくできた癒やしの文学です。たとえ社会に適応できなくても、それを肯定してくれる。気分が落ち込んでいるときには最高の薬です」村上春樹に限らず、気分が落ち込んでいるときに効く文学作品は多い。「まず絲山秋子さんの作品です。作家自身が双極性障害と闘いながら書いてきた。何かを失った悲しみから緩やかに回復するさまを追体験できるでしょう」「夢も見ずに眠った。」は、離別した夫婦が丁寧に日常を生きていくことで再びめぐりあい、新たな境地を見いだしていく。「特別な出来事や能力がなくても、日常にこそ輝きがあるかも、と思わせてくれる作品です」窪田空穂の回想録『わが文学体験」も、つらい体験を越えて日常を歩む勇気をもらえる。「妻や息子の死など何度も体験する痛手に対し、悲哀に溺れることも、目をそむけることもなく向き合う。そんな姿勢が人生の危機を乗り越えるのに大切なのだと感じさせてくれます」村上春樹に通じる「癒やし」なら、スコット・フィッツジェラルドの短編集『マイ・ロスト・シティー』だ。「共通するのはポスト・フェスティウム的な世界観。元気がないとき、「すばらしい時代は終わった』という喪失感に共感し、ホッとします」特に表題作は、晩年の著者が自身の全盛期を内省的に振り返ったもの。こんな一節がある。〈車はちょうど藤色とバラ色に染まった夕空の下、そびえ立つビルの谷間を進んでいた。私は言葉にならぬ声で叫び始めていた。そうだ、私にはわかっていたのだ。自分が望むもの全てを手に入れてしまった人間であり、もうこの先これ以上幸せにはなれっこないんだということが〉(村上春樹訳「マイ・ロスト・シティー』から)「そのほか、古典『源氏物語』と、恩田陸の小説『蜜蜂と遠雷』を挙げた。「これ以外にも癒やされる文学作品はたくさんあります。私自身、文学に何度も救われてきました。自分だけの癒やし」を見つけてください」

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